EG-360の伝説
70年代に一世を風靡した名機の研究





今から30年以上前、当時の日本にはまともなエレキ・ギターが殆ど無かった。
60年代にグループ・サウンズやエレキブームがあったのに拘らず使われているのは
「グヤ・トーン」「テスコ」「バーンズ」と言った「半分オモチャ」のようなエレキギター
ばかりだった。
プロのミュージシャンはギブソンやフェンダーを使い、アマチュアは国産の安い
エレキギターを使うのが当然な時代だったのだ。

そんな頃、日本でも「ニューロック」とか「アートロック」などと言われる音楽が流行り
初めていて、イギリスの「レッドツェッペリン」とか「GFR」が大人気になった。
当然使われる楽器も「彼等が使っているような」物が要求されるようになった。
しかし、ギブソンのレスポール・モデルは36万円以上だし、フェンダーのギターでも
十数万円したので到底我々が買える代物ではなかった。

そんな折、神田楽器がグレコと言うブランドで「レスポール・モデル」のコピーギターを
売り出した。
当時は「グレコ印のエレアコギター」と言っていたが、外見は確かにレスポールモデル
のようなギターだった。
正式な型番は「EG360」で定価は¥36000円だった。写真1
ただ、その時はEGと360の間に「−」は無かった。
それは1970年4月までの事で、9月になると何故か突然「EG-360」となって新発売
された。写真2

形や大きさはギブソンのレスポールで、ピックアップが「シングルコイルのピックアップを
2つ並べた」ような「ハンバッキング・マイク」を使っていた。
構造は「ベニヤ板を圧力でプレス」してカーブを付け、それを厚めの板に貼り付けてある
グレコ独自の「エレアコ構造」であった。
材質も安価で加工しやすい「ホワイトシカモア」をバックやネックに使い価格を抑えた。
開発のテーマは「安くて弾きやすくて良い音のギター」だった。

EG-360は発売と同時に大ヒットとなり、製造が間に合わないほど売れた。
1970年に発売され、1974年に定価の引き上げで「EG-380」になり、1977年に
製造が終了するまでグレコのギターは日本の70%ものギタリストに愛用された。

不思議なのは74年まではEGと360の間に「-」があったのに途中から「-」が消えた事だ。
スペックは途中まではホワイトシカモアだけだったのが、ネックに3ピースのメイプルを使用
するようになったり、77年にはデタッチャブル・ネックからセット・ネックに変更されたが、
それは最後を飾る仕様変更であったようだ。
78年のカタログからはEG380の姿は消えて、その歴史に幕が閉じられた。

                                  EG-360&EG-380 カタログの変化

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