小川に沿ってお散歩しよう




ある夏の午前中、マンションの部屋から外を眺めていたら丁度マンションの
前を流れている小川(写真@)(写真A)が目に入った。
小川には涼しげに澄んだ水が流れていて、青い空を映している。
「はて、この小川の水はどこから来ているんだろう?」
いつもなら気にもならないような事が急に気になり出した。
この近所には梨畑がたくさんあるし、田んぼもあるからその為の用水なのは 判るが、一体、どんな水が流れているのか妙に知りたくてならなくなった。
「自然の湧き水だろうか?それとも単なる生活雑排水...そう言えば近く で農業用の水を汲み上げているポンプ小屋があったような...」
疑問は疑問を呼び、どんどん膨れていった。
「これはやはり確かめに行かなければ」
思い立つが速いか、帽子を被って外へ飛び出した。
小川は、マンションの外れで雑草に覆い被せられ駐車場の脇を流れて 県道の下を流れている。(写真B) (写真C) そのまま遡っていくと、やがて住宅街へ入って行く。 この辺りは、倅の同級生で幼馴染のモモちゃんちの方へつながっている。 案の定、川に沿って歩いていたらそこへ出てしまった。(写真C) 丁度、家の前で顔見知りのモモちゃんのオヤジさんとばったりあってしまい 「良い天気ですねぇ〜」などと挨拶する。 内心、「何の用も無いのに家の周りをウロウロしている」と思われたら 嫌だななどと思いつつ上流に向かって歩き続ける。 小川の両岸にはフェンスが張ってあり、中に入る事は出来ないが、フェンス越し に中の様子は見てとれる。 時々、見事な百合の花(写真D)が咲いていたり、栗の木(写真E)があって 実がなっていたり。 ある時は沢山のザリガニ(写真F)が川底を行列して歩いていたりして面白い。 もう、すでに15分以上も歩いているが何の変化もない。(写真G)(写真H) かなり離れていたはずの丘陵地帯が目の前に迫って来ている。 まさかこのまま山の中へ入ってしまうのか?と思っていたらやや離れた 所に水門のような物が見えて来た。(写真I) ここで小川は、もう少し大きな川と合流して上流に向かっている事が 判った。 どうやら、もう1つの川は家の前方にある山沿いに流れている川らしかった。 少し大きくなった川は、少しだけ水の量を増して上流に続いている。 まだまだ先は続いている。どこまで続いているのか不安になって来た。 そこからやや歩くと、小学校が見えて来た。もう、隣の町に入っていて その先は東京都だ。 何と、この小川は小さい癖をして東京都と神奈川の一都二県を流れる 大河であったのか? 川の向こう岸は山の斜面が緩く落ち込んでいる。所々で山から流れ込む 枝沢が合流している。(小さな排水溝みたいのだが)(写真J) 5分ほど歩くと、急に視界が開けて広々した所に出てきた。 その小川は、何と突然始まっていたのだ。 広々した所と言うのは、大きな水路の曲がり角であった。 地図で見ると、三沢川と言う川で、その川の水を取水してこの小川が 出来ているのだ。(写真K) 取水口は、三沢川の護岸の下にあって、小さな水門が付けてある。 その周りはコンクリートで整地してあり、ちょっとした広場のように なっていて、その下に川が有る等とは思い付きもしない。 結局、家の前の小川は単なる用水路であった訳だ。ちょっとがっかり。 さて、家に戻ろうと思い踵を返すと、目の前に山が目に入る。 来る時は気が付かなかったが、その山に入っていく小道に気が付いた。 入り口に何やら看板が立っている。(写真L) 「多摩自然遊歩道」(写真M)と書いてあり、脇には小沢城址緑地保全地区と 彫られた石碑もある。 少しばかり興味をそそられたワシは、その細い石段のようになった 路を上って行った。 入るとすぐに石段は曲がって、周りは鬱蒼と茂った森になる。 所謂、里山と言うのだろうか。 石段はすぐに終わり、曲りくねった山道が上へ上へと続いている。 路の両脇は、クヌギやコナラ、大きいのやら小さいのやらの雑木が 自然のままに生えていて、小さなジャングルが出来ている。 暫く登って行くと、ふと子供の頃によくカブトムシを取りに近所の 山に行った事など思い出して懐かしくなって来た。 「もしかしたらカブトムシなんか居るかも知れない」と思い付いた。 周りは、そう言った昆虫の好きそうな雑木ばかりだし、もしかしたら カブトムシも居るかも知れない。 見れば見る程虫取りに格好な木ばかり生えている。 ただ、気掛かりなのは途中で散歩中の人にかなりすれ違う事。 こんなに人が多くてはすでに近所の子供らに取り尽されてしまって いるかも知れない。それと、もうすでに家から2時間近く歩いて 自分の足がかなり痛くなって来ている事。 大した山ではないが、登りはけっこうきつい。時刻もすでにお昼を回って しまっている。 暫く登ると、路が二股に別れていて、片方は細いがしっかりした道、 もう片方は、随分前に使われなくなって荒れ果てた様子。 一瞬、逡巡したが荒れ果てた道の方へ入って行く事にした。 こちらの路は、でこぼこで草に埋もれ歩き難いが、ほとんど人が入らない らしくて自然がそのまま残っている。 クモの巣やら枯れ枝に行く手を阻まれながら少し行くと、小さな広場に出た。 そこには、昆虫採集愛好家が涎を垂らしそうな絶好の狩猟ポイントで 小さな草地を取り巻くようにクヌギの木があり、その先は南斜面の 山すそに続いていた。 そこで、端からクヌギの木を調べ始めると、居る所には居るもので カナブン(写真N)やら、カミキリ虫(写真O)やらカブトムシ(写真P)が次々に 見付かった。 小さい頃、カブトムシを採るのに夢中になって、自分でカブトムシが 沢山居る所を見つけた時のあの感動が蘇って来た。 「あ〜、居るよ居るよ!ここにも、そこにも、あそこにも!」 何と幸福だろう、幼少の砌に戻ったような、憧れの昭和30年台に タイム・スリップしたかのような、切ない感傷が押し寄せる。 しかし、あの頃と決定的に違うのは、もうカブトムシを捕まえて 持って帰ろうとは思わない事。 当時は、沢山捕まえる事しか頭になかったが、今、この歳になると 折角、自然の中で細々と生き永らえて居るものを無理に拉致しよう などとは思わない。 せめてデジカメで(写真だけ撮らせてもらう、それだけで十分。 後で、倅を連れてきて見せてあげよう。 暫く何匹かのカブトムシが木の幹で餌の取り合いをしている(写真Q)のを眺めて 満足した。 この緑地保全地区の狭い森の中で、やっとの思いで子孫を残している 昆虫達。 ふと、森の木々の枝を透かして見れば、その向こうには読売ランドの 観覧車や、ジェット・コースターの高いコースが見える。 その下の周りには小さな家々が密集して立ち並び、沢山の人々が生活している。 普段は何気なく見ている、目の前に連なる多摩丘陵や、小さな小川や やっとの思いで残っている雑草の生い茂った空き地。 このまま変わらずに残ってくれたら有り難いんだがなぁ、無理だろうなぁ。 でも、未来と言うか10数年後に日本の人口の増加も止まり、人口は 減少に向かうと言うではないか。 それから先はこのままだと急激に人口が減っていくらしい。 それもそうだろう。自分の家族も一人っ子だし、近所も結構子供が少ない。 そうなったら日本中が過疎地になるんだろうか? 地方の山間の村へ渓流釣に行くと、年寄りだけしか居ない村がある。 そう言った村は後20年したらどうなるなるのだろう? 無人と化して廃村に追いやられるのだろうか? 一度だけ廃村になった村の跡地に行った事があるが、そこはまるっきり 森に戻っていた。 辛うじて残った、神社の鳥居とか、草むらの中にぽつんと立っている 赤いポストが嘗てここに人が住んだ事を記憶しているだけだった。 さて、家に帰らねば。 ふらっと家を出て、すでに3時間近くもほっつき歩いている。 帰りは近くのバス停からバスに乗って帰ろう。バスに乗ったら5分で家に着く。