おやぢが育ったのは東京の外れ、府中と言う街だった。 まだ40数年前は東京の郊外で、緑が残ると言うより緑の中に街があるような所だったのだ。 その上、おやぢの家は多摩川まで歩いて10分、家の隣はお寺と競馬場と言う環境で、街中 と言うよりは、村中と言う感じだった。 当然、当時は日本中貧しく、高度経済成長も始まっておらず自然などと言うのは溢れ返って いて、珍しくも有り難くもないものだった。 子供らは夏になれば川で遊ぶか、森で虫でも捕まえるか位しか遊びはなくて、いたって普通に カブト虫やクワガタを捕まえて遊んでいた。 おやぢが小学生になる頃から、この鄙びた街にも開発の波が届くようになってきて、草っ原の 空き地に新築の家がポツリポツリと建ち始めだした。 その当時は、家の近所の大国魂神社の裏の森へ行けばカブト虫が幾らかは捕まえられたのだが、 数年もすると全く居なくなってしまった。 その森は、百メートル四方の小さな森で、木の樹齢はひどく古いけれど太いドングリの木 ばかりで、それ程カブト虫が繁殖するような森ではなかったし、何しろベビーブームの直後で 子供らの数が多くて、カブト虫は奪い合いのようになっていた。 おやぢが一番虫捕りに燃えた、小学校3〜6年生の頃には近所ではもうカブト虫は居なかったので 町外れまで出掛けて行くようになっていた。 家から自転車で10分も行くと、その辺は田んぼばかりになり、見渡せば綺麗な緑の線が何処までも 続く水田がどこまでも広がっている。 その緑の平面の中に、ポツリ、ポツリと小島のような林が点在していた。 どうして一面の水田の中に、そのような林を残しておくのか、子供には判らなかったが、その 小島のような森には、必ずクヌギの木が生えていて沢山の昆虫が住んでいた。 カブト虫やクワガタ虫、怪しい色のカナブンや蝶々。一歩足を踏み入れれば昼でも薄暗い別世界。 しかし、ここにも子供同士の縄張り争いや虫たちを巡った争奪戦があった。 |