昭和22年 |
この航空写真は、1947(昭和22)年3月にアメリカ軍によって撮影された画像だ。 河川敷には全く植物らしきものは無い。在るのは石ころだらけの河原だけ。 川の周囲にも殆ど家は無く、田んぼ又は畑ばかりである。この辺がいかに僻地だったか良く判る。 それにしても雑木林も殆ど無い。あるのは田んぼと畑のみ。 今は団地のようになっている所が昔は沼だったとは... |
昭和49年 | この画像は、昭和47年の水害後2年目のものであるまだ、中洲Aと中洲Bは接続しており、川の本流は流れ2の方である。 C地点はまだ河川敷で、流れ込みは水門のかなり下流である事がわかる。 A、Bの中洲は殆どが砂礫の堆積で大きな植物は生えておらず、下草が点在している |
昭和54年 |
この直前にかなりの大雨があり、中洲AとBの間に水路が出来ている。 それまで砂礫の河原だった所に多くの草が生えて中洲が草原化している この頃までは本流は相変わらず流れ2の方だ。 |
昭和59年 |
この頃は数年おきに水害が発生しており、本流の流路が変化している。 一旦草原になった中州Aはまた砂礫の河原に戻っている。 流れ1は流路が変わり、中洲Cは流路に飲み込まれてしまっている 本流だった流れ2は水量が減って、土手の下に河原が出来つつある。 |
平成元年 |
十年経って、中洲Aは草が深く覆い、何物かが作った通路が見える 中洲Bも草が深くなり、樹木が生え始めている。 この十年間は比較的安定した状態が保たれていたようである。 本流は流れ1に移動して、流れ2は途切れがちとなっている。 現在のポイントの地形はこの頃から発達し始めたようだ。 |
最近 |
十数年経つと本流は完全に流れ1に定着して、河川敷Cは殆ど消滅してしまった この数年前に、ちょっと大き目の出水があり、中洲Bは水没又は流失してしまった この画像は、数年前のものだと思うが、現在のポイントはこの後に形成されたもののようだ。 と言う事は、一度失われた環境が復活するのに数年しか掛かっていないことになる。 |
現在 |
そしてこれが現在の河川敷の姿である。数年前に失われた中洲Bは完全に深い樹木に覆われている 中洲Aは流れに囲まれて、現在は全く入ることは出来ない。 中洲Bの大きい木は、数本が十数年前に生えた木で、残りはこの数年で新たに生えた木だという事が 判る。 たった数年でずいぶん成長するものだ。 また、ここに棲息するクワガタや昆虫は、度重なる水害のたびに絶滅しているが、 どこか一箇所でも 残った場所があると、そこから移動して来て元のように繁殖を繰り返していると思われる。 環境の修復に掛かる歳月は、数年で完了するように思える。 いかに自然の環境修復力が強いか判る良い例ではないだろうか。 |
これが数年前の航空写真だが、水害から数年で流れが大分変わった事が判る。 また河川敷の中州の大きな木の数が大分減っている。 川崎側の土手の河畔林は水害後ほとんど伐採され二ヶ領堰まで土手が補修された。 2012年現在、中州のクワガタはノコギリクワガタを除いて絶滅したままだ。 一番一般的なコクワガタが居ないのは何故だろう? |